教養ということ

建国大学一期生・百々和さんの言葉から。
「企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ… 」
「… 実際に鉄砲玉が飛び交う戦場や大陸の冷たい監獄にぶち込まれていたとき、私の精神を何度も救ってくれたのは紛れもなく、あのとき大学で身につけた教養だった。歌や詩や哲学というものは、実際の社会ではあまり役に立たないかもしれないが、人が人生で絶望しそうになったとき、人を悲しみの淵から救い出し、目の前の道を示してくれる。… 」

百々さんのこの言葉は、母校の学長の卒業式辞と、どことなくつながっている気がする。
私はとうに大学を卒業しており、学長の式辞は同窓会誌に掲載されていたものを読んだのだけれど、なにかとても大事なことを言われた気がして、そのページだけ破り取ってメモ帳にはさみ、時々読み返している。
以下抜粋。
「… 仕事の合間には、静かに自分を省みる心の余裕を失わないでください。人と人をつなぐ本質的な意味でのコミュニケーションの手段である教養を自分の手で積極的に育てていってください。教養は力です。と同時に、教養は、自分自身の隠された力を探り出す鍬のようなものでもあります。食わず嫌いをやめ、孤独をおそれす、自分の可能性を信じながら、どうか、いつまでも知的冒険を重ねてくださいますように!… 」(2008年3月 東京外国語大学長 亀山郁夫教授 式辞より)

自分を掘り起こす鍬でもあり、逆境のなかで自分を守る盾でもある教養。
はたして自分はどこまで身につけていけるだろう。

陽は中天を過ぎて 2nd season

虹はまたいつか

「五色の虹ー満州建国大学卒業生たちの戦後」三浦英之

長年、満州にそこはかとない興味を抱いてきた。けれど、それは映画「ラストエンペラー」とかのイメージが基になったような、実態とはほど遠いもので、あの国にも大学があったということすら知らなかった。
建国大学。
満州国の最高学府。
帝大に合格する以上に厳しい試験を経てきた学生たちには日本人だけでなく、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族がいて、しかも6年間の寮での共同生活。
そのうえ、あの時代にもかかわらず言論の自由が保証されていた。敵を批判するにはまず敵を知るべしということで、図書館の蔵書には日本では禁書扱いの共産主義の書籍も含まれていたし、学生たちが議論で日本政府を批判するのも自由。
満州国という特殊な国に設立された大学であり、将来の満州国を担うエリートを育てるという目的があったことを差し引いても、かなり惹かれるものを感じる。
日本の敗戦後に建国大学の学生や卒業生たちが辿った人生には簡単に感想を述べることもできない。
ただ、彼らの言葉をこうやって残してもらえてよかった。
取材が行われたのは2010年のことであり、卒業生がほぼ90歳代になっていたことを考えれば本当に最後の機会だった。
あのとき満州国が掲げていた、世間を欺く「五族協和」のお題目は消え去ったけれど、そのお題目を実現させるという夢のなかで懸命に生きた人たちの想いはこうして本に掬い上げられて残り、いつかまた美しい虹をかけるかもしれない。
https://dnevnik.amebaownd.com/posts/1120400

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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