ゆゆしき事態
いやー
全然本を買う気にならない。
このところずっとそうだ。
土曜の昼下がり、ニコライ堂からえんえん大手町まで歩いて、まだ時間もあることだし、と丸善に立ち寄ったのに、これっぽっちも。
食指が動かなかった。
面白そうだなあ、と思っても、じゃあその本を手にとってレジに並ぶかというと、これがまったくそういう気にならない。
これだけの本を目の前にしても、心が弾まないのだ。
部屋に本が溢れているからか?
本が多いとはいえ、草森紳一さんほどじゃない。足の踏み場はちゃんとある。
本棚に入りきらない本がテーブルの両側に積み上がり、そのうえ床にも、本を詰め込んだ紙袋がふたつほどあったりするが、これが心の重荷になっている、のだろうか。
買ってもどうせいずれは売ることになる。
そのうえ中身もたいがいは忘れる。
それでも本を買うのか。
…
しかし、本は買わねば一期一会でもう出会えないこともある。
けれど買えばまた、床置きの紙袋が増える…
本はなぜ増えるのか。買うからである。
草森さんの名言だ。
売るとわかっていて、忘れるとわかっていて、なのに買わずにはいられない書籍中毒、文字中毒。
けれど今の自分はきっと、たぶん、閾値を超えてしまったのだろう。
読みたくて読んでいるのか、
売るために読んでいるのか、
もはや不明だ。
読書人などという高尚なものにはなれそうもない。
ただもう、リスがくるくると車輪を回すように、次々と読んで売って読んで売って。
終わることなき文字のカルマ。
0コメント