豆を撒く
夕方、食事の支度をしながら聞くともなしに聞いていたラジオから「みなさん、豆は撒きましたか? 」と言う声が聞こえて、あ、と菜箸を置いた。
昼間、近所の神社へ節分式を見に行ったくせに、そのあとあちこち歩きまわってくるうちにすっかり忘れていた。
肝心の自分の部屋で豆まきをしなかったら意味がない。
ほんの八畳ほどの部屋。
床はあっという間に豆だらけになった。
去年はなにを思ったか、「ふくはーうち」としか唱えなかった。鬼がいたっていいじゃないか、彼らだって好きで鬼に生まれてきたのでもなかろうし、とか考えたのだ。子どもじみた感傷だ。
そのせいかあらぬか、そこからの一年はかつて経験したことがないほど重苦しく、心身ともに追い詰められる毎日だった。谷底に次ぐ谷底。坂道に次ぐ坂道。
鬼を追い払うのは、自分に溜まった陰を外に出すということなのかもしれない。陰を出さずに陽だけを取り込むことはできない。ちゃんと「おにはーそと、ふくはーうち」と両方言うからこそ、バランスを取り戻せるのだろう。
そう思って今年は「おにはーそと、ふくはーうち」と繰り返しながら豆を撒いた。隣人への遠慮と気恥ずかしさとで、小声ではあったけれども。
冬の寒さとともに鬼よ去れ、春の兆しとともに幸いよ来い。この手にこの心に温もりを。
0コメント