東京寫眞帖 20171001

読み終わった本を古本屋さんに出しに行こうとして、その道を通ったら解体工事をしているのが目に入った。
その通りには以前、三軒長屋みたいな店舗兼住宅があって、四つ角に面した店舗には昔ながらの洋食屋さんが入っていた。いつかそこで食べてみようと思っていたのに、ある日閉店のお知らせが貼り出され、気がつけば隣り2件も立ち退いて、長いこと看板もなにもかもが取り去られたコンクリートの壁をさらしていた。
ついに一度も足を踏み入れることのなかった店の奥を、立ち止まって眺めた。
無造作に取り壊された柱や壁。二階部分に残るキッチンワゴン。一階でお客に食事を供しながら、このお店の人たちはあの二階の台所でなにをつくって食べていたのだろう。
解体現場をカメラに納める自分を、子どもがおかしなものを見る表情で見つめて通り過ぎていく。
この街で暮らしはじめた10年ほど前、店はすでに十分古びていたけれど、なくなるとは思ってもいなかったのだ。
それがなくなってしまったことへの感傷など、たしかに膨大な未来を前にした子どもにはわからないことに違いない。

店は大家の都合で消えていくけれど、個人の住宅ならそうでもないわけで、昭和の雰囲気あふれるこんな家もまだ残っていたりする。こういう家がふつうだった時代も、いつのまにかもう半世紀も前だ…

解体中の店舗や木造の家屋をカメラに収めながら、自分の心は過去を向いているのだ、とつくづく感じた。
過去。
それも滅び去りそうな過去を。

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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