水戸・曝井ー20170827
ようやく夏休み。
実家にも帰らず、ぶらりと水戸まで。
梅の時期でもないのに水戸に行くのを思い立ったのは、犬養孝先生の万葉集の本を読み返していて水戸にも万葉の遺跡があるのを思い出したことがきっかけで、「曝井(さらしい)」という名の湧き水が今は公園に整備されていると知ったからだった。
筑波山を左手に望みながら常磐線に揺られること約一時間半。
ふつうに首都圏のターミナル駅の風情を漂わせている水戸駅に、最近はちょっと大きな駅はどこもこんな感じで変わり映えしないんだよなあ… と思いつつ、観光案内所に立ち寄ってみる。曝井まで行くバスの路線を聞こうとしたのだ。
が、案内所の担当者は首をひねるばかり…
この時点で予想してもよかったのだ。
曝井の近くにあるという古墳の名前とか最寄りのバス停の名前とかからようやくどのバスに乗ればいいかを聞き出して、タイミングよくやってきたバスに飛び乗った。
で、着いたところがここ。
万葉のかけらも感じられないような、ぱかーっと広い道路。
とりあえず古墳を目指して歩いてみる
古墳への案内板は時々出ているが、曝井のほうは「さ」の字さえ見かけない。
はて。
古墳の前をぐるりとまわり込めばいいのは地図で分かっていたので、だいたいの見当をつけていくと、道が急に下りになった。
曝井は那珂川に向かう岡にあるというから、道が下るのは那珂川に向かっているということで、この道で合っているということだな… と安心したのもつかの間。
下り坂はすぐに突き当たりになり、右手に向かってさらに急な坂が続いている。
が。
道は、このまま歩いていっていいのか悩ましいほどの鬱蒼とした竹林に吸い込まれていた。
薄暗すぎる。ひとりで来たことを一瞬、後悔した。
しばしその場所でためらっていると、竹林の向こうから、自転車を押して上がってくる女性と、なにやらゴミ袋を抱えた男性と。
… 行ってみるか。
昼なお暗い竹林の中に、その場所はひっそりと存在していた。(写真は明るめに調整)
公園として整備されているとはいっても、石碑があって説明板があって、さして広くもない敷地の端にあずま屋がちょこんと作ってあるだけだ。
そして肝心の曝井はちゃちな日本庭園の池みたいで、小さいうえにほとんど植物に覆われていて、呆然と立ち尽くしてしまった。
近在の女性たちが布を洗ったという万葉の風情はどうがんばっても想像もできない。
水のほとりにぼけっと佇み、視界を遮るように重なる樹々の枝葉を透かして坂の向こうに目をやると、那珂川の土手が見えた。
竹林もなく目の前に建つ人家もなかった古代には、もう少し間近に那珂川を望めたのだろうか。
しばらくそうして遠い那珂川を眺めていたが、せっかくだから土手まで行ってみようか、とふと思いついた。
その前にもう一度、この先もう二度とは来ないかもしれない曝井の公園をぐるりと一周し、石碑のたもと、石で囲った水溜りの縁に腰をかがめた。
そよりとも動かない透明な水面に目を凝らせば、底の砂に埋もれて白いパイプがちらりと見えた。自噴じゃないのか… 湧き水のはずなのに。
千年の月日は周囲の風景だけでなく、曝井自体も変えてしまったのかもしれない。
膝を叩いて立ち上がったそのときざわりと風が吹いて、枯れた竹の葉がぽとりと落ちてきた。
水溜りが園内を走る細い流れへと移るあたりに、水が動いているのを見た。
湧き水。
どきりとしてもう一度屈み込む。
水が、流れている。
手を伸ばしてみると、ひやりと冷たい。
千年前から湧き出し、流れ、那珂川へと注ぐ水。
(湧水はちょうどこの石と石の間)
来てよかったのだ。
万葉の時代を彷彿とさせるようなものが何ひとつなくても。
はるかな過去から変わらない水があるのを見られた、それだけで。
名残りを惜しむように手を浸し…
そして立ち上がった。
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