突撃の歌

大丈夫、俺はまだ歌える。
それだけが荒くれた軍隊生活の支えだった。
慣れない武器を手に取り遠征部隊に加わったのは、すこしでも裕福になりたかったからだった。
国境付近を荒らしまわる部族を征服したなら、必ずや満足のいく褒賞をとらせる。村に回ってきた武人はそう言った。陽に輝く兜を被り槍の穂先を煌めかせ、鮮やかな色の陣羽織に美しい首飾りを幾重にも掛けたその立派な身なりに俺は夢を見たのだ。
行軍の最初は俺たちの部隊は連戦連勝、夜営のときには酒を煽り肉を喰らい、俺の歌だって座に興をそえたものだった。
歌好きの母から教わるともなしに数え切れないほどの歌を譲り受け、故郷にいた頃は近隣の祭りには必ず招ばれて、ちょっとした歌い手なみの扱いを受けていた。
都に出られるほどの美声ではない。
それは自分でよく分かっている。
歌えさえすれば俺は満足で、祭りでも結婚式でもなにかの祝い事でも俺の歌声を聞いてくれるひとがいるならさらに満足で、だから俺の人生は歌とともにあったのだ。
けれど、俺たちの部隊は敵を深追いしすぎた。
気がついたら本隊を遠く離れ、いつのまにか敵に背後をとられ、包囲網を突破するだけで精一杯だった。追撃を振り切るまでにいったい何人の仲間を失ったろう。
それからは間道をひっそり、物音を立てないように神経をとがらせて歩く毎日。夜営を張っても、しんとした空気のなかでまんじりともせずに時間が過ぎていくだけ。俺は歌を、閉じた口のなかで転がすことしかできなかった。
そうして何日も過ぎるうちにふと気づいた。
あれほど豊かに俺の身体に満ちていたはずの音も言葉もどこかにかき消えてしまった…
なにも、おもいだせない。
『人間、歌えなくなったらおしまいよ』
それが母の口癖だった。
本当だ、こんな敗残の身を抱えて俺にはもう、歌すらもない。
おそるおそる指先を自分の唇に触れ、ガサリと乾いた感触にぞっとしたとき、歩哨に立っていた仲間の大声が響き渡った。
「敵襲だ!」
すぐに剣を手に立ち上がる。
が、真夜中のこととて、敵も味方もよくは見えなかった。ただ、叫び声と剣のぶつかり合う音と、馬のいななきと。
そして、右肩に、腹に、熱の塊。
しまった…
夜の闇が、見たこともない闇へと変貌していく。月の明かりすら届かない、深い闇。
ここで俺は終わるのか、こんな土煙りのなかで。夢の代償がこれか。
せめて… せめて歌声よ、俺に戻れ。

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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