青春の残照

「東大駒場寮物語」松本博文

なにしろアヤシイ場所というイメージがある。
駒場寮に入り浸っていたという知人からその様子を聞くたびに、自分と同じ時代に存在していた空間なのか驚くとともに、男子学生の自由さを羨ましく思ったものだった。
そのアヤシイ寮が学生自身によって運営されていたことや、一方的に廃寮を通告してきた大学側と長いあいだ争っていたことは今回この本で初めて知った。
大学が駒場寮廃止を決めた90年代初頭は世の中はまだバブルの余韻に浸っていて、そんな時代の呑気な学生だった自分がもし当時この問題を知っていたなら、きっとこんな古い建物は壊しても構わないと思ったことだろう。なんでそこまで抵抗するのか、理解できなかったんじゃないだろうか。
明治時代からの伝統だった学生の自治寮は、結局は大学側につぶされてしまった。しかも裁判に訴えるという形で。おかしな話だ。
そして感傷的な側面から言えば、駒場寮がどれほど古かろうと汚かろうと、寮生がそこで麻雀ばかりしていたり、惰眠を貪り続けたりしてエネルギーをひたすら浪費していたとしても、その怠惰と紙一重のどうしようもなさのなかで同じようにもがいている人間に、寮だからこそ出会えたりもしたんじゃないのだろうか。アパートでのひとり暮らしでは、それはとうてい望めない。
そのかけがえのない場所が失われてみてはじめて、惜しいと思った人もいるのではないだろうか。
そこにあったのは苦味の残る青春の日々。
人生のとば口で立ち尽くし、あるいはただ走り続けた日々。

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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