時間の流れる方向。

「女官ー明治宮中出仕の記」山川三千子

明治も末年、宮廷に出仕して皇后に仕えた女官の回想録。
雪洞の灯りに浮かび上がる、平安時代を彷彿とさせるような宮殿の様子も、当時の皇室の習慣も女官たちの仕事ぶりも、もの珍しくて興味深いけれども、印象に残ったのは昭憲皇太后が亡くなる前、沼津の御用邸で倒れたときのこと。眠りから覚めた皇太后はこう仰った。
「いま私が急いで桃山の明治天皇様のおそばに行こうとするのに、皆がまだ成らせられてはいけませんと止めるので、しかたなく引返したが、三十年後の日本の姿は見たくないものを、早い方がいいね」
皇太后が亡くなられたのは1914年。三十年後といえば、先の大戦が戦況悪化の一途をたどる1944年。まるで予言のようだ。眠りの中でいったいなにをご覧になったのか。
いまひとつは、皇太后が亡くなる半年前に著者が見た夢のこと。
夢に現れたのは誰一人いない殯宮の風景。そこにどこからともなく声が響く。
「もう最後の拝謁ですからね、よくおみ顔を拝して、いついつまでも忘れぬように」
いずれのエピソードも、単なる偶然といえばそうなのかもしれない。
皇太后は病の床でただ言葉の綾のように「三十年後」と口にしたのかもしれず、著者は明治天皇の殯宮の印象と皇太后を深く敬慕する意識とが相俟ってそんな夢を見ただけかもしれない。
けれども。
私たちは「時間」というものを、生まれてから死ぬまで、一直線に進んでいくもののように認識しているけれど、本当はそうではなく、どこか別の時空があって逆方向にも流れているのではないか。たまたま、なにかで心身が鋭敏になっていたりするような場合に、その逆方向の「時間」を垣間見ることができるのではないだろうか。そんなふうに思わされる逸話だった。

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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