なんのための戦いだったのだろう

「肉弾−旅順実戦記」櫻井忠温

日露戦争に出征し、旅順の第一回総攻撃で生き残った軍人の戦記。
100年前の戦争は腥い。機関銃が使われだして戦いの様相が機械化され始めたとはいえ、まだどこか戦国時代のような、人間同士の戦いなのだ。中世から近代への過渡期とでも言おうか、工兵隊が道を開け、歩兵隊が進み、重砲が掩護する。敵の機関銃でいいように掃射されようと、ひたすらじりじりと、何度でも。
それはテレビなどで目にする現代の外国の紛争とはおよそ異質のもののように感じる。空爆ですべてをなぎ倒してしまう現代の戦いは人間がいないように見えるのだ。
いや、現代でもいざ実際に戦場に出れば同じなのかもしれない。目の前で肉片が飛び、足の踏み場もないほどの死体の上を歩いていく、そんな凄惨な映像がテレビでは流れないだけだ。
8万4千人もの戦死者をだして攻略した旅順もいまや元どおり中国の土地。戦争とは畢竟、なんであるのか。

ところで、本書の文体は対句や漢語の多用が生み出す昔ふうのリズム感を持っていて、とくにこの漢語がやはり当時の人と現代人との大きな差だと思う。著者の櫻井忠温がこの戦記を書いたのは30歳前後のことだけれど、現代の大卒30代でこれだけのものを書ける人はそうそういないだろう。漢文をほとんど学ばない世代である私たちが失った語彙力の宝。取り戻せるものなら取り戻したいけれど、漢文は弱小教科なので今しばらくは個人の努力に俟たねばならないのだろうなあ…

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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