ほろびゆく者たち
「海のもののふ 三浦一族」石丸煕
武士としての華々しさと、二度も北条氏に滅ぼされるという因縁と。
この一族の鎌倉幕府内での立場を追えば、幕府権力の性格の変化をつかむことができる。そして、源平合戦から鎌倉幕府草創期が三浦一族の華の時期なら、頼朝を失って以後は次第次第に北条氏に手足を縛られ最後には合戦に追い込まれる衰亡の時期。
この衰亡期を描いた永井路子の「執念の家譜」で三浦氏に興味を持った。法華堂に立てこもり一族郎党が自害していく凄惨な場面でも、作者の筆の力か一種の清々しさをたたえていて、滅びゆく強者というものに弱い自分は強く惹かれてしまったから。
本書が取り上げるのは鎌倉時代の三浦氏なので、私の好きな三浦義同は残念ながらスコープ外。最後の章でほんのすこし、宝治合戦後の三浦一族の動向として触れてあるに過ぎない。本書の感想とは関係ないけれど、義同の辞世の歌を。
討つ者も 討たるる者も 土器よ
くだけて後は もとの土くれ
義同の声が聞こえてきそうな歌だ。
きっとがらりとした胴間声だろう。投げやりなわけでもなく静かな諦念でもなく、敵をにらみ渡してニヤリと口の端を上げていそうな気がする。
ところで、三浦一族の本拠は衣笠城で、横須賀線の車窓から見る限り、衣笠という街はなんの変哲もなさそうなふつうの山の中の土地。
どうしてここを本拠地に選んだのかと思っていたが、一族が隆盛を誇っていたころはこの辺りまで海が入り込んでいたと知って納得。彼らは舟を自在に操る武士団だったのだ。
それゆえに海をはさんで向かいの房総の千葉一族とも往来が頻繁でつながりが深い。
海はその両岸を隔てるものではなく、ふつうに行き来できる道なのだ。古い東海道が相模から海を渡って上総に通じていたのもその現われで、なんというか、ふだん陸で生活していると陸地での視点に縛られるものだな、ということを感じた。
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