できたこと、できなかったこと。

たしか今年の目標は「自分の領土を広げること」だった。
夏休みのロシア旅行で距離を稼ぎすぎた反動か、秋以降はどこに出かける気にもなにをする気にもならないまま時間が過ぎて、気がついたら年末が目の前に迫っていた。
で、見に行こうと思っていた展覧会の会期もすぐそこに迫っていた。
ペテルブルクの国立ロシア美術館から、アイヴァゾフスキーの海の絵が来ている。
見逃したくはない。
が、当の展覧会が開かれている美術館は八王子にある。
八王子は遠い。
自宅からだとまず溝の口に出て南武線に乗り換えて立川まで、立川で中央線に乗り換えて八王子に着いたら、今度はそこからさらにバス… となるともう、心理的に遠い。
が。
モスクワを旅行していた時は途中で風邪をひいたこともあって、せっかく本場にいるのに美術館にまで行く余裕がなかった。
というか、モスクワには行けたのに八王子に行けないなどという話があるだろうか。

ロシア絵画の至宝展 夢、希望、愛─アイヴァゾフスキーからレーピンまで

18世紀初期のロシアでは、西欧化を推進するピョートル大帝のもと、政治の分野のみならず、文化・芸術においても、西欧化が推し進められました。それは18世紀後半の女帝エカテリーナ2世のもとで更に強固なものとなり、以降ロシア美術は、ヨーロッパで流行したロココや新古典主義、ロマン主義といった美術様式を取り入れながらも、独自の発展を続けてきました。ロシア独特の雄大な自然、神話や英雄の理想主義的な歴史画をテーマにする一方、庶民を描いたリアリズム絵画も盛んになっていったのです。<br> ロシアの大地に根ざして紡ぎ出された絵画は、時代やジャンル、その主題に関わらず、描かれた対象への愛情と思いやりに溢れています。アレクセイ・ヴェネツィアーノフは、農奴制に喘ぐ農民たちを、愛情を持って表現し、イワン・アイヴァゾフスキーは、海の様々な諸相を、歴史画のような大画面にドラマチックに描き出しました。イワン・シーシキンは、ロシアの雄大な自然を、詩的で幸福に満ちた情景として描き出し、またフョードル・ワシーリエフやイサーク・レヴィタンは、自然の描写に、希望と喜び、悲しみと悲痛といった自身の内面を表現しました。そして、イリヤ・レーピンは、人生の真実を描くことを芸術の指標として、人々の物語をカンヴァスの上に紡ぎ出したのです。<br> 本展覧会では、国立ロシア美術館の所蔵品の中から、「夢」「希望」「愛」のテーマのもと、ロシアの風景や庶民の生活に焦点を当てた40点の優品を選び、ロシア美術の深い精神性に迫ります。

東京富士美術館

そんなわけで昨日は八王子まで出かけてきた。
遠いには遠かったけど、やはり行ってよかった。
この展覧会の目玉ともいうべき「第九の怒濤」。
巨大な画面中央でうねる翡翠色の大波。
白く砕け散る波頭。
そして、淡い鴇色の空にさす陽の光。
目を、心を奪われてしまう。
アイヴァゾフスキーだけでなく、シーシュキンの絵も来ていた。アイヴァゾフスキーが海の画家なら、シーシュキンは森の画家。彼の描くロシアの森はいつまで見ていても飽きることがない。

思うに自分は、できたことよりも、できなかったことのほうをより大きく重く感じ取ってしまうのかもしれない。
たしかにこの一年、できなかったことは多い。今年だけではない、毎年毎年やれなかったことが積み重なって、それなのに人生はもはや残りの時間を意識しなくてはいけないところに差し掛かっている。むやみな不安と焦りが心を占めるばかりだ。
でも。
落ち着いて考えてみれば、なにもできなかったわけではなく、少しずつでも、やりたかったことはやっている。
新しい楽器を習い始めた。
コンサートに行った。
勉強を再開した。
ロシアに行った。
ほら。
ちゃんとなにがしかはしている。
後ろを向いてため息をつくのではなく。
できれば晴れ晴れと前を向いていたい。

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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