つながるもの

昨日、お三絃のお稽古に行った。
ほぼ一年ぶり。
たった一年で、先生のお宅のある八潮の街にはマンションやらアパートやら戸建やらがとにかく増えた。
マンションができるとその近くに保育園ができ、診療所ができ、塾ができ、草ぼうぼうの空き地は消えて、少しだけ残った畑がなんだか健気に見えた。昭和の初めに出来上がった古い街の中に住んでいる身からすると、街ができていくこういう過程は単純に面白い。
久しぶりのお稽古は近況報告に始まりよもやま話が続いて、その中で、先生の姪っ子が私がお稽古に来ないことを気にしていると聞いて、少し驚いた。
数年前の秋の発表会、先生が選んだ曲はまるで「和楽器と歌で演じるお芝居」のような難しい曲で、先生の姪っ子も歌で参加していた。小学校低学年の子に歌わせるには難しい音程とリズムと。あの子はよく最後まで投げ出さずに頑張ったなと思う。私は私で、ソロで弾きながら歌うという非常に重たい部分があって、平日でも、帰宅するとまずはお三絃の練習という毎日だった。
とはいえ、自分はお三絃よりは歌うほうが好きで、この時もソロというプレッシャーはありながらも気持ちよく歌っていたものだった。そのせいか、先生の姪っ子は私のことを「歌う人」と認識しているらしく、私が休んでいる一年のあいだに、「あの歌の人は?」と何回か聞いてきたというのだ。
何回か、というのが先生のリップサービスだとしても、もし私の歌が誰かの心にそうやって残っているのなら。
それはなんてうれしいことだろう。
私のかけらが誰かの中にのこり、何かになって、私の知らない時へ場所へつながっていくかもしれない。
そんな希望。

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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