いつか終わりが。

私には生まれ合わさなかった伯母がいて、幼女と少女の境の年ごろにふとしたことから亡くなってしまったそのひとのことを昔はかわいそうに思ったものだった。
亡くなったのは秋の日のことだったのだろう、戒名にふくまれた「秋」の一文字が稲穂を刈り終えた後の田んぼに満ちる寂しげな明るさを思い起こさせて、哀しい気持ちをいや増しにする。
ひとは放っておいてもいつかは必ず死ぬものだが、時ならぬ死は残された者たちの心にいつまでもささる。たとえそのひとが生きた時間の5倍もの時が過ぎても。
大人になる手前でこの世に別れを告げる。
それは当人にとってどれほどの心残りだったことか。
しかし、最近ではこうも思うのだ。
自分のように生きてただ年を重ね、日々終わりのない仕事のなかでもがき続けるような人生ならば、はたして? 
救いのない日々だ。
出口は蜃気楼ほどにも見えてこない。
明日は光のひとすじでも射し込むだろうか。 

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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