年末年始顛末
えらいめにあった。
大晦日はちゃんと予定を立てていたのだ。
朝は9時までに起きて食事を済ませ、さっと部屋を片付けたらお昼ごろまでお三絃の練習をして、それから帰省。実家に戻ったらお節を作る手伝いをして、ぶじに年越し。
ところが豈図らんや。
目が覚めてみたら、まともに起きていられないほどの頭痛…
ふだんならすぐに頭痛薬を飲むところだけど、あいにく診療所でだしてもらった風邪薬の服用中で、説明書に「飲み合わせに注意」などという一文があったせいで頭痛薬を飲むのもなんだか怖い。代わりに、保冷剤を額に当ててみたりして横になった。
しかし、1時間寝ても2時間寝てもよくなる気配がない。
帰省するつもりだった時間に実家に電話をかけ、もう少し様子を見てから帰ると伝えて、また身体を横たえる。
微妙に空腹を感じる。けれど頭が痛すぎて起きる気にもなれない。
実家に帰れるのだろうか。
この痛みがすぐにとれるとも思えない。
無理に帰らないでここで休んでいたほうがいいんじゃないのか。
けれど。
ひとりで年越しの準備をしているだろう親のことを思ったら、なんとか帰らないといけないような気がした。
それに、じっとしているとこの頭痛が単なる頭痛ではなく、なにか重大な病気の兆候に思えてきた。ぞくりとする。もしかして、このまま自分の命は終わってしまう、のだろうか。
この部屋は居心地がよくてとても好きだけれど、もしも死ぬなら実家で死にたいような気がした。
ということで、頭の痛みとめまいとでぐらぐらする身体をなんとか動かして、実家に帰省。
帰省してはみたものの、まったくものの役に立たず、お節作りを手伝うどころか、ぼんやり椅子にうずくまっているのが関の山。
用意してもらった年越しそばもひと口ふた口食べるのがやっとで、あたたかい汁椀を両手で包んだら涙が出てきた。
これはなんの罰だろう。
……………
ようやく頭痛がおさまったのは元日のお昼すぎ。風邪の熱も引いたようなので初詣に行き、ようやく一年が始まった。
あの頭痛は、自分の人生は中天を過ぎたと頭では理解していても、つい、これまでどおりに物事をこなそうとする自分に対する警告だったのかもしれない。
もう無理のきく年ではないのだ。
この身体で、体力で、できることをしていくしかない。
無理がきかないからといって人生がしぼむわけではない。
大丈夫、自分はまだ生きている。
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