ボリス・プーゴのこと
亀山先生の「ゴルバチョフに会いに行く」を読んで思ったことはいろいろあるのだけれど、やたらと長くなりそうな雰囲気なので、少しずつ。
ボリス・カルロヴィチ・プーゴ。
ロシア人らしからぬ響きの父称と名字を持つこの人物 ーラトビア人だそうだー の名前にはまったく聞き覚えがなく、先生の本ではじめて知った。
旧ソ連の内務大臣。
ゴルバチョフがクリミアの別荘に軟禁されたあのクーデターが失敗に終わった直後、みずから命を絶った、いわゆる守旧派のひとり。
特異なのは、その死が奥さんとの心中自殺だったということ。
安易な連想で、乃木大将のことが思い浮かぶ。
ひとつの時代が終わろうとするときに、その時代に殉じる心性はなにも日本人だけのものではない。つよい信念を持つ者になら、どこの国の人間であろうと抱き得る感情なのだ。
起死回生を図ったはずのクーデターで、かえってソビエト国家の最終章の幕を開けてしまったことに気づいたとき、彼の前には死ぬという選択肢しかなかった。政治エリートでありながらもつましい暮らしをし、あの国が掲げていた理想を胸に公正に生きようとした人間。
けれど彼とその奥さんの死は、家族以外の誰にも悼まれることはなかった。それどころか人々は、滅び去るべき体制側の権力者の死として、まったく当然のことと受け止めた、…拍手をもって。
当時の自分は毎晩テレビにかじりついて、世界を二分してきたこの超大国で起きているできごとを見守っていた。先生が本の中で何度も繰り返しているように、ゴルバチョフは輝ける存在だった。気軽に街頭に立ち、民衆とじかに言葉をかわす。明るい笑顔。これまでの書記長たちとはまったく違う存在。そのゴルバチョフに挑戦するクーデターはただの悪あがきにしか見えず、三日天下で終わったときには、まあこんな程度だよな、などとしたり顔で評したものだった。
ボリス・プーゴの自死を当時の自分が知っていたとしたら、きっとあの国の民衆と同じように、それが当たり前だ、くらいに思っただろう… 彼がどういう人物なのかも、なにをしてきたのかも、なにを考えてきたのかも知らず、ただ、「旧体制側の人間」だというだけで。
革命の(あのクーデターは革命ではないかもしれないけれど、ソ連の崩壊を加速させたという意味で、革命のようなものかと思う)熱は、急激な変化を好み、ゆったりとした改革も慎重な考えも蹴散らしてしまう。そして悪食なことに、人の血を欲しがるのだ。旧体制の人の血を。たとえ、それがどんなに公正な人間でも、高潔な志を抱いた人間でも。
民衆はその熱にかんたんに煽られてしまう。燃えさかる炎が、何もかもが変わっていく様が、心地よいのだ。炎のむこうになにかとてもよいことが待っているような気がして。
実際にはソビエトを燃やした炎の向こうに待っていたのは恐ろしいほどのインフレと社会の崩壊だった。あのとき私たちが断罪したのは共産党の指導部の人間たちだったけれど、本当に裁かれるべきは、本当にロシアを壊してしまったのは、あのときヒーローのように振舞っていたエリツィンたちのほうこそだろう…
いまはボリス・プーゴの死に思いを馳せることで、簡単に扇動されてしまう自分のせめてもの罪ほろぼしをさせてほしい。
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