目からウロコ

「儒教とは何か 増補版」加地伸行
前々から儒教の「教」という字に違和感を覚えていたのだけれど、それが氷解。儒教は単なる道徳規範なのではなく、本当に「宗教」だったのだ。ただ宗教的な側面が沈潜しすぎて、我々が儒教に宗教性はないといつのまにか思い込んでいただけ、とは。
それからもうひとつの疑問も氷解。
うちの親はなにかにつけて「魂は生き通し」とか言う。そのたびに「えー… 魂って輪廻するものじゃないの? もし生き通しだったらどうやって輪廻が可能なの?」とすっきりしないものを感じていた。ひとつの魂が先祖として生き通しになる部分と輪廻して別の生を歩む部分に分裂するのかなあ… とか。
ところがこの「生き通し」という感覚も、実は儒教的なものだったのだ。
インドにおける本来の仏教では、死んだら解脱して仏になるか、輪廻して別の人間ないし生き物になるかであって、「先祖の霊」というものは存在しない。先祖崇拝やその供養というのは中国や朝鮮、日本といった東アジア地域に広がる古くからの習俗であり、仏教が東アジアに浸透していくために取り入れたものなのだ…
相変わらずというか、加地先生の自信漲る言葉が痛快。

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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