夏の入口

日も傾きかけた午後、近所の神社に寄ってみた。
今月末は夏越の祓なので、鳥居に茅の輪が取り付けられている。
毎年のことなのに茅の輪の潜り方が思い出せない。いや、年に一度だから覚えられないのかも。看板の図をよーく見てから茅の輪を潜る。
左に一回、右に一回。
で、看板をよーく見たはずのなのにほんのちょっと歩くうちにすっかり忘れて、そのまま参道を進んでしまった。ほんとうはあともう一回左に回らないといけなかったのに。
というか、気を取られていたのだ。
拝殿前のお宮参りの家族に。
若い夫婦だった。スーツ姿の旦那さんに着物姿の奥さん。両家のご両親と、あとは姉妹らしき女性たち。
自分の人生には起きなかった光景を見るのは、少しつらい。心の奥底に、冬の日差しのような寂しい光が満ちてしまう。
ラフな格好のカメラマンが家族の周りをこまごま動きまわってなにか話しかける。みんなが代わる代わる赤ちゃんを抱いてカメラに収まる。
誰の顔にも自然な笑みが溢れていて、これこそ生まれたての命が持つ特別な力だと感じた。つられて自分までが笑顔になってしまったくらいだ。祓に来て、見知らぬ小さな命からなにかを分けてもらったような、そんな感じ。
…前を向こう。
自分の人生にはたしかに、こんな光景は起きなかった。けれどそれは、消極的にもせよ積極的にもせよ、自分が選んだことだったはずだ。
…前を向こう。
たぶんその代わりに得たこと、得られることがあるはずだ。
そう、前を。

手水舎の水盤には紫陽花が浮かんでいた。
龍はコロナ騒動このかた、口にがっちり金具をはめられて、プラスチックの樋に水を流すというかわいそうな姿のまま。
今日もそれは変わっていなかったけれど、紫陽花で飾られた手水舎はなかなか粋だ。
ああ、そうだ。今年はこんな状況だったから紫陽花を見に行くことすら忘れていた。明日は電車に乗って少し出かけてみようか。

陽は中天を過ぎて 2nd season

第二人生。 ここから歩いていこう、 鮮やかな夕映えのなかを。 大丈夫、自分はまだ生きている。

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